この川と初めて出会ったのは16年位前だったか?
記憶は定かではないけど「とても田舎だな」と感じていた事は記憶に新しい。
当時も現在も、お泊りさせて頂く民家では携帯の電波が届かず携帯なしでの生活となる。
集落も30戸未満と本当にゆったりとした時間が過ごせる。
しかし、ネット社会の今、電波が届かずメールチェックもできない事が、こんなに大変な事だと感じたのは、今回は初めてです。
ネット依存症と感じる事が出来ました。
久々に自然に触れ合いました。
子供の事はよく触ったカエルですが都会で暮らすとつかみ方も下手になりますね(笑
なんとか無事に手の平へ!!
喜多方と言えばもちろん喜多方ラーメンですが、この地区で有名なのが、つなぎを一切使わない「そば粉100%」の十割そばですね。
全戸数30戸のうち12戸が客間座敷を解放した農家食堂を営んでおり、注文してからそばを打つという頑固なまでに味にこだわる地域でもある。
今回は、食堂ではなく一般の家庭でそばを打って頂きましたが、ご馳走様と言っても次から次へと、手打ちそばが出てきて。。。嬉しいやら大変やら(苦笑。。。ありがとうございました。
見ての通りつなぎ無しのそばなので、短く切れてしまいますが味はすごく美味しいですよ。
そば湯もかなり美味しく頂けました。
ご招待頂き感謝です。ありがとうございました。
近くには有名な橋があります。
もう~知っている方へは、バレバレですね。
喜多方市山都町の一ノ戸川橋梁(イチノトガワキョウリョウ)です。
山都そばでも有名で16年前に出会いました。
夜になるとライトアップ(期間限定)もされます。
一ノ戸川橋梁(イチノトガワキョウリョウ)1910年に完成し、当時は東洋一の規模の鉄橋として広く知られた。
レトロな形状が魅力で、「SLばんえつ物語号」走行時は、絶好のシャッターチャンスとしてカメラマンに人気。
地元では「山都の鉄橋」と呼ばれ、せせらぎの音を掻き消して列車が放つ走行音は「うつくしまの音30景」に選定されている。
期間を限定して橋梁のライトアップが行われ、その幻想的な景観を楽しむ観光客も訪れる。
およそ100年前、磐梯山の噴火によってできた桧原湖の南東にある十数個の湖沼群の総称です。
流入している火山性の水質の影響などにより、様々な色合いを見せてくれることが名称の由来とガイドさんより聞いてより深い歴史を感じました。
磐梯山の噴火でできた湖です。裏磐梯で最も大きく、唯一周遊道路があり、車で1週することもできます。
周囲には遊覧船・探勝路・キャンプ場などもあり、裏磐梯観光の拠点となっています。グリーンシーズンのバスフィッシング、冬場のワカサギ穴釣りなどが盛んに行われます。
気軽に楽しめる桧原湖探勝路には、裏磐梯唯一の吊り橋があり、そこからは、開放的な光景が広がり、深く切れ込んだ入り江と湖上に浮かぶ小島が一望できます。
北岸付近には2009年NHK大河ドラマ「天地人」の舞台にもなった会津米沢街道があり、一部は桧原湖底に沈んでいます。
定番の喜多方ラーメン、訪れるたびに異なるお店で食べる事にしている。行列のあべ食堂を通過して、ここも地元では有名なお店(朝昼夜:あさひや)で頂きました。
チャーシューは太くて柔らかい味を付けずにシンプルで、これまた美味しかったですよ。
せっかく喜多方まで来たので、隣町の会津若松まで足を運んでみた。
私もNHK大河ドラマ「八重の桜」見てます。
冒頭に出てくる石部桜は行きませんでしたが、鶴ヶ城だけでも満足度100%でした。
公式サイトより(写真撮影はHIRAKAWAです)
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。至徳元年(1384)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
たくさんの方々の寄付により鶴ヶ城がよみがえったのは昭和40年9月のことである。平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった天守閣としてリニューアル公開されました。
ドラマにも出てきた場所!!
公式サイトより(写真撮影はHIRAKAWAです)
戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。 20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。 春と秋の年2回行われる慰霊祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます。
戸ノ口堰洞門の近くにあり、寛政8年(1796年)、実相寺の僧郁堂により建立されたといわれる仏堂です。
六稜三層の形がさざえに似ていることからこの名で親しまれています。 堂内に入ると、上り下りするためのらせん階段があり、参拝者は一度も対向する他の人に出会うことなく、また一度も同じ道を通ることなく、一方通行で堂内を参ることができるという世界的にも珍しい建物です。
平成8年6月には、当時の庶民文化を語る貴重な歴史的資料として国の重要文化財に指定されました。
(写真撮影はHIRAKAWAです)
敷地内に流れる小川をみて不思議に思う!!
なぜなら??
標高880と聞いていたからです。聞き間違いなのか?
どこから水が湧いているのか?
この空間に居るだけで癒される場所でした。
(写真撮影はHIRAKAWAです)
今回の喜多方・会津は、初めて歴史に触れ神秘的な場所と出会えました。東京では、体験のできない喜多方・会津の人達との温く楽しい会話。話していると心から落ち着く会津弁(笑。。
楽しい3泊でした。出会えた皆様、ご説明頂いた皆様、ご招待して頂いた皆様。
ありがとうございました。
帰りは定番の宇都宮で食事休憩、
えっ!!
宇都宮餃子を食べて帰る。当然でしょう~。。。