こんにちは、HIRAKAWAです。
10月3日、無事、宇都宮コラボを終了し親睦会へ!予定通り帰宅の予定が電車が次々と乗り継ぎ駅で終電待ちをしている。最寄駅に着いたら深夜0時過ぎでクタクタの一日でしたね。
翌日(当日)、4日は、朝6時起床だ。
久々の休日は、義父とお付合い。某地区の自衛隊父兄会会長出身でもある義父が参加する、自衛隊や国防についての理解を深めるための研修活動(見学会)だ。毎年、楽しく参加させて頂いております。今年は40人近くの皆様と再会です。
船をテーマに、横須賀&横浜に行きました。
もちろん、横須賀基地の見学も予定されておりましたが、10月1日に米原子力空母「R・レーガン」が入港した為、基地内の見学は急遽中止に!
仕方ないですね。あくまでもアメリカ軍内で、自衛隊は貸して頂いている形なので。
写真の空母は、ヘリ専用空母ですね。
「みかさ」を見学、ちゃんと案内の方が説明をしてくれて、また一つ学べました。
調べてみると「日清戦争に勝利した我が国は、下関条約により賠償として清国から遼東半島を割譲されましたが、強力な軍事力を極東に展開している露独仏三国の強い干渉を受け、遼東半島を清国に返還せざるを得ませんでした。
欧米列強の軍事脅威から主権と領土を守るためには軍事力の強化が急務と痛感した時の政府は、戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を基幹とする「六六艦隊整備計画」を推進しました。
「三笠」は、英国ヴィッカース造船所に発注した6隻目の戦艦であり、明治35年(1902)3月に竣工、直ちに横須賀に回航され、日露関係が悪化し戦時体制に移行した明治36年12月、連合艦隊に編入され、その旗艦になりました。」
情報先:http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/index.html
初の猿島へ渡ってみた。この島は、江戸時代から太平洋戦争終戦まで、軍の要塞として使われたという歴史があり、さまざまな遺跡が残っています。
とてつもなく、涼しくて、気が高まる場所でしたね。
空気も良く、歴史にも触れ、自然も残る場所として、気持ちよかったです。
お昼は、横須賀定番の軍艦カレーが頂けました。
本当に、数々の軍艦カレー専門店やルーがあり、悩みまくりですね。
しかも、カレーに牛乳が付いてくる???
試してみると、美味しかったです。
お昼後は、横浜へ移動「日本丸」船内を、見学しました。軍艦とは、本当に違いますね。
説明してくれる方(卒業生)の、当時のお話がとてもリアルで、本当に船が好きじゃないと務まらないお仕事ですね。
調べてみると「初代日本丸は鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」の遭難を契機として、1930年に建造され、当時の田中隆三文部大臣の「日本の海の王者にふさわしい船にしたい」という我が国の海運に寄せる期待を込めて「日本丸」と命名されました。
初代日本丸は 引退までの54年余りにわたって、実習訓練を行って来ました。正確な記録の残る昭和27年(1952年)4月1日以降でも162次の航海を行い、6,509名の実習生を育て、約127万kmの航海を完遂しました。
米国建国二百年祭(1976年)に参加するなど、華々しい航海を続けてきた初代日本丸ですが老朽化には勝てず、1974年以降は遠洋航海の規模を縮小するなどの応急的な航海を続けていました。」
情報先:http://www.kohkun.go.jp/ship/nipponmaru/
クタクタの一日でしたが、楽しく学べました。
感謝!!